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母の臨終  8/12

母は65歳になって保険の外交員の定年を迎えた年、病気で亡くなった。それから既に四半世紀以上が過ぎ、気がついたら母の年齢を超えていた。親が亡くなった年齢に到達すると感慨を覚えるという人もあるが、特にそういうことはなかった。

悪性腫瘍が見つかった時にはすでに手遅れの状態で、手術ができずに三ヶ月間の入院・加療の末、母は亡くなった。
母の入院中は毎日片道1時間かけて病院へ通った。本人に告知はしなかったが、私と弟は医師から病気の説明を受け、余命が長くないことを宣告されていた。何気なく電車の三ヶ月定期を買ったと言ったら、「何で三ヶ月だ」と母は怒った。三ヶ月も入院する必要はないと思う一方で、不安に思う気持ちがあり、周囲の動静に神経を尖らせていたのだと思う。
大丈夫、頑張ればきっと良くなれると信じる気持ちもあって、母の心の中は揺れに揺れていたに違いない。

入院後期には抗がん剤の副作用で髪が抜け落ち、顔も体もやせ細ってがりがりになり、腹水がたまっておなかだけが膨らんでいる状態で、それでも母は自分でトイレへ行きたがった。ベッド脇におまるを用意しても言うことを聞かず、車いすに乗せてトイレへ連れて行った。廊下ですれ違う他の患者さんは一様に目をそむけて通っていった。
栄養分の点滴以外に、自分の口からものを食べたがった。最後はスイカしか食べられなかった。
実に息が切れる二日前まで、そういう状態で気力だけは残っていた。人間は生きてきたように死んでいくというけれど、母を見ていてそうかもしれないと思った。

伯母の話では子どもの頃からきかん気が強くてかんしゃく持ちだったというが、最期まできかん気だったと思う。
伯母達や家族に取り巻かれて臨終を迎えた時、見守っていた側の人間は毒気を抜かれたようになって誰も涙を流さなかった。逝く間際の本人だけが涙ぐんでいた。悔し涙だったと思う。

亡くなった後半年くらいの間、毎晩母の登場する夢を見た。私の心の中に何かしらのわだかまりが残っていたからに違いない。
母との関係については今もまだ割り切れていないところがある。時々考えてみようとするが、考えても今も分からないままだ。


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中部圏に住む1948年生まれの専業主婦です。
夫と猫2匹と暮らしています。リンクはフリーということでお願いします。

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