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若い母の記憶  8/9

私が小学校の終わりから中学校時代、母は隣県の町の鶏肉屋さんへ住み込みで働きに行っていた。農地があるが、商売の方がよくはやって忙しくて手が回らないので、畑の世話をするのに雇ってくれていたようだ。母の休みがどうなっていたのかわからない。子どものことやその他の用がある時、自分の家の農業の繁忙期には帰ってきていたが、その他は行ったきりだった。休みの不定期なお手伝いさんだったのだろう。何しろ一年の半分はそちらへ行っていたような記憶だ。

鶏肉屋さんには娘さんが何人かいて、末の一人だけは年が離れていたようだ。両親も姉もそれぞれに忙しく、かまってくれる人がいなくて寂しがっていたのを母が相手をしていたのではないかと思う。下の弟よりも一つ二つ年下だったように記憶している。

ある時、母はその女の子を連れて帰宅し、うちで預かるのだと言った。雇い主に対してというより、他人に対していい顔をしたがるところが、母には確かにあった。
いつも母に放っておかれた私と弟達は、内心おもしろくなかった。その二三日後に親戚の家へ遊びに行くことになっていた私と弟に、その女の子も連れて行くようにと母は言いつけて一人で戻っていった。
その女の子が朝寝坊していた間に、親戚の家へは弟だけで行かせた。そのくらいの意地悪はしてもいいと思った。祖母は何も言わなかった。

母は要するに家に居たくなかったのだ。現金を稼いでこない父の不甲斐なさに腹を立てて、夫婦仲もだんだん冷えていたに違いない。鶏肉屋さんでそれほどの賃金を貰っていたとは思えないが、少なくとも顔も見たくない夫から離れていることはできる。商売が繁盛してニコニコしている家の人達と一緒に笑って暮らすことができて、楽しかったに違いない。
自分の子どものことは実は大して気にかけていなかったのではないかと思う。母は自分のことが一番という人だったと、今でも私はそう確信している。

鶏肉屋さんで何年か働いた後、母は小学生時代の友人という人に誘われて保険の外交の仕事を始めた。初めのうちはなかなか契約など取れず、苦労していたようだ。それでも仕事をやめずに、しぶとく続けていた。

高校生だったころ、もしかしたら両親が別れるかもしれないと、祖母から聞いたことがあった。そうなったら、お前は女の子だから母親と一緒にこの家を出て行くのだと、祖母は言った。ふうんと思ったが、特に何かの感情がわいたということはなかった。そうなっても仕方がないと思ったが、先のことは考えられなかった。
結局離婚にまではいたらず、母は何とか折り合いをつけて父と一緒に暮らす道を選んだ。それでも保険の仕事をあきらめずに続けたのは、もしかしたら経済的に自立するために必死だったからかもしれないと、今思う。


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中部圏に住む1948年生まれの専業主婦です。
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