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子どもの心細さ  6/4

私は三人姉弟の一番上だったので、すぐ下の弟が生まれて母の手がそちらにかかるようになると、同じ屋根の下、祖父母の方に押しやられたようだ。父には妹が一人いたが戦時中の無理がたたって戦後すぐに脊椎カリエスで亡くなっていた。祖父母は私を、叔母の生まれ変わりのように思って、手の内にしたのかもしれない。特に祖父は何か思うところがあったのか、農閑期にはやっとよちよち歩きができるようになったばかりの私を連れてあちこち出かけ、同伴しての出歩きは私が小学校へ上がるまで続いた。私には電車に乗ってあちこち連れて行かれた記憶がかすかにある。私の手を引いていたのはいつもカーキ色の国民服姿の祖父だった。祖父は戦後何年たっても、背広ではなくいつも戦時中の国民服がよそ行きだった。

祖父は家中で一番厳しくて恐い人だった。笑顔をみせて孫をあやすなど一切したことがなく、そもそも子どもが大人に逆らうなどあり得ないと思っているような古い時代の家長だった。
ただ恐いだけの人に兄弟のうちの私だけが連れ回されて、疲れて駄々をこねて泣いても知らぬ顔をされ、欲しいものがあってもおいそれとは買ってもらえず、行儀が悪ければ叱られた。泣いてもわめいても無駄と早くにあきらめてしまって、私は自己主張のない実に大人しい子どもに育ったと思う。小学校低学年の通信簿に「子どもらしさがないように思われます」と書かれた記憶がある。まだ若い女の先生だったからそういう印象がよけいに強かったのだと思う。

小学校へ上がるちょっと前のことだった。祖父が一度だけ私と上の弟を一緒に連れて、電車に乗って大きな町へ出かけた時のことだ。歩いている途中におもちゃ屋があり、店頭に置かれていた何かを弟が欲しがってぐずぐず言い始めた。祖父は孫の機嫌など知らぬ顔で、言葉もかけずにどんどん歩いて行ってしまう。弟は言うことを聞いてもらえない欲求不満と、置いて行かれそうな不安から大声で泣き叫び、間に立った私はどうしていいのかわからない。祖父はもう随分先に行ってしまい、知らない場所で私も置いて行かれそうになるし、走って追いかけて行けば弟が置いてきぼりになってしまう。弟をどうなだめたらいいのか分からず、私は心の中で「泣いても無駄なんだよ」と叫んでいた。後ろを振り向きながらそろそろと歩いて、それでも弟の所へ駆け戻り、手を引いて歩かせたら弟が泣きながらついてきたので、本当にほっとしたことがある。

置き去りにするのがしつけだなどと考える親の威厳など、何ほどのものだろう。子どもを支配下におこうとするだけの親には疑問符が一杯つく。私は子どもの頃大人に可愛いがられていたのだろうかと思うことがある。


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中部圏に住む1948年生まれの専業主婦です。
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