FC2ブログ

Entries

小学6年生  5/17

団塊の世代の私たちは人数が多かったので、学校時代、○×式の解答の試験問題が多かった。選択問題を含めて、まぐれ当たりで正解になることがある問題がほとんどだったわけだ。高校までは言葉で説明することを求められるような問題はごく少なく、慣れていないため苦手だった。
幾通りもの答えがあってどれが正解か決められない問題などは、そもそも教科書にも授業にも出なかったのである。多くの公立学校で一クラスに今の倍ほどの人数の子どもが詰め込まれていたのだから、答えが幾通りもあっては授業をするのも大変だったからだろう。
日本の教育は教師が教え込むという時代が長かったはずだ。詰め込み教育の反省からゆとり教育に舵を切ったのは、自分の頭で考える能力を伸ばすためと聞いているが、それもどうやら学力の点で問題が多かったらしい。

私が通っていたのは田舎の小学校だったので、団塊世代の学年でも一学年がやっと62~3人だった。当時は60人を越すとクラスを二つに分けることになっていたようだ。そのため私たちは2クラス、一組が30人ちょっとの、町中の小学校に比べるとある意味恵まれた教育環境で過ごすことができた。

子ども達はのんびりしていたが、6年生になると先生の方が急に方針転換をした。中学校にはその傘下の4つの小学校から生徒が入学することになっていた。急にマンモス校になって、大勢の生徒の中で競争に負けないように気を引き締めさせようということだったのだろう。先生はクラス内での成績順位をつけて通信簿とともに渡したり、算数の教科書に載っていた何ページ分かのドリルを競争で解かせ、結果をグラフにして張り出したりした。
ノートに解答して先生に見せ、全問正解したら棒グラフを伸ばす。解答が出来た生徒は先に正解してグラフが伸びている生徒に答え合わせをしてもらってもいいことになっていた。そうでないと先生の仕事が増えるという事情の他に、やっぱり優越感を感じさせることで競争させたのではないかと思う。

さすがと誰もが認めるような優等生の女の子が一番に正解して他の子の答え合わせをしていた。
先生みたいな顔をして他の子のノートに丸をつけるのは何だか恥ずかしくて、私はちっとも問題を解かなかった。解けなかったわけではない。そうして他の子の棒グラフがどんどん伸びていくのを黙って眺めていた。小学校卒業間際の思い出だ。

関連記事
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://ohutarisama331.blog120.fc2.com/tb.php/288-1c82f133

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

ohutarisama

Author:ohutarisama
中部圏に住む1948年生まれの専業主婦です。
夫と猫2匹と暮らしています。リンクはフリーということでお願いします。

月別アーカイブ

 

検索フォーム

QRコード

QR