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セーターのこととDVD「先生と迷い猫」  4/29

図書館で「トップダウンのセーター」を借りてきて眺めていているうちに気がついた。(ネックから編むセーター)で後ろ丈を3cm長くするのは、前後の襟ぐりの深さに差をつけるために他ならないのではないか。
人間の首は前傾しているから、前の襟ぐりの方が深くしないと体に合わない。ヨークセーターにしろ、ラグランセーターにしろ、襟ぐりから編み出して袖下まで同じ長さに編んだだけでは前後の襟ぐりが同じ深さになってしまうから、後ろ丈を伸ばすことで差をつけるわけだ。要はヨーク部分から後ろ身頃に続く部分の丈を斜めにでも直角にでも伸ばしてやればいい。私のとった方法は骨折り損だったみたいだ。この点についてはまた、機会があれば考えて試してみようと思う。

「先生と迷い猫」をDVDで見た。

イッセー尾形の演じた元校長は、妻に先立たれてひとり暮らしだ。昔風の男というか、弱みを人に見せないように肩肘を張って生きている。ふんぞり返って歩く姿は威張っているようにも見える。
周囲の人は元校長だから表面的には立てているが、陰では冷ややかだ。ロシア文学の翻訳をすすめてくれた編集者も、翻訳が完成することなど期待してもいない。哀しいことだが、年をとるということは周囲に対する影響が少なくなるということだ。

校長の家には亡き妻が可愛がっていた野良猫が時々やってくる。彼はその猫を妻を思い出してつらいという理由で追い出してしまう。ところが猫がそれきり姿を見せなくなると、今度は不安になってしまうのだ。
亡き妻が飼い猫にしたいと言ったとき、校長は「生き物は死んでしまうからかわいそうだ」と反対した。ペットの死さえも実は悲しく思っていたわけで、それは実は猫が好きだったということだ。
不安になって猫を探し始めた校長は、周囲の人とだんだんにつながっていく。

猫はその近辺のあちこちで、別々の名前をつけられて可愛がられていた。でもだれも自分の家の飼い猫にしなかったのはなぜだろう。猫は犬と違って鎖につながれず、気ままに出歩くたちの生き物だから独占できないと思うせいだろうか。それとも猫を可愛がる側の人間も自分達の都合で気ままに可愛がりたいと思うからだろうか。
映画の中に野良猫に対する人間の側の問題を指摘する修理工場の主人が登場していた。

生き物は必ず死ぬのだ。傷ついた猫を介して知り合った小学生にそう教えた校長は、自分自身もそれを真実として心の深いところで受け止めるしかない。
可愛がっていた人たちが手分けして探しまわる猫は、最後のシーンでも姿を見せない。もしかしたら制作者は鈴の音をさせることで帰還を示唆していたのかもしれないと思う。


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中部圏に住む1948年生まれの専業主婦です。
夫と猫2匹と暮らしています。リンクはフリーということでお願いします。

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