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1月19日 父のこと

私の父親はただの百姓だった。毎日田んぼや畑へ出て土を耕し、冬は山へ入って木を切り倒し薪や柴にしていた。無口な方で何かを言い出すときに、どもるとまではいかないが口をもごもごさせた。人づきあいが上手にできる方ではなかった。長男だった。小学校を出た後、農林学校だったかへ入ったが、人手が足りず、家の仕事が回らないからと退学させられたと言っていた。

弟が一人いた。勝ち気で目端の利く性格だったらしい。祖母は大人しいだけの父より、その弟のめりはりのある性格を愛していたと思う。父の弟は旧制中学を出た後、東京の工業学校へ進学したが、戦争中のことだったので特攻隊を志願して、知覧から出撃し散ったという。
父は田舎の若者の中から選ばれて近衛連隊に入隊し、何年か勤めた後除隊になった。もちろん一兵卒である。近衛を退いた者は再度兵隊に取られることはないはずだったのに、戦争の末期には員数が足りなくて再び兵隊に取られ、南方へ行かされたそうだ。
食べるものもなく激戦地で苦労した挙げ句、ようよう生き残って帰還したら、祖母に「お前ではなく弟が生きて返ってきた方が良かった」と言われたという。折角金をかけて東京の学校に進ませ、将来はきっと出世したに違いない弟の方が生き残る価値があったということか。
父のことだから、黙ったまま唇をかみしめていたような気がする。祖母は他人からは仏様のように優しい人といわれていたが、身内には時折理不尽なことも言う人だった。

農家といっても山間地のことで広い田畑があるわけではなく、たいていの家の男の人は現金収入を求めて外へ働きに出るようになっていた。けれども我が家は父が外へ出たがらなかったので、母が代わりに外へ出て働き始めた。父はむっつりと家業を守った。
勤め先を二・三・替えた後、知り合いに勧められて保険の仕事を始めた母がお金を稼ぐようになると、祖母はさらに父のことを情けなく思うようになっていった。祖母の頭では金を稼ぐ者が一番だった。父の酒量がだんだん増えていった。

祖母が亡くなったとき、父は何も言わずに、田舎の習わしで葬式に必要とされた何かをこしらえながら、一人ぽつんと納屋の前に腰を下ろしていた。
あの時何を思っていただろうと思う。

親戚の人が来て、お茶の話になり、私の父親は気が長かったせいか煎茶を入れるのが上手だったと話した。それで何となく父親のことを思い出してしまった。

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中部圏に住む1948年生まれの専業主婦です。
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